それぞれの追悼式
東日本大震災から9年が経ちました。
新型コロナウイルスの影響で、宮城県では東松島市を除いて追悼式は献花のみの開催になっているようです。
ならば、それぞれの場所で、それぞれのやり方で、震災に心を寄せましょう。
東松島市から石巻市の通勤途中の様子や歩く人の姿にも、『あの日の事』を思っている空気感が漂ているように感じます。
いつもと違うルートを通り、野蒜で車を停めました。
かつて青い松林と人の営みがあった場所は、青い空だけが昔と同じです。
私が震災を思うとき、なによりも、だれよりも強く思うのは震災で亡くなったよしこちゃんの事。
小学校の、たとえば運動会。写真を撮ろうと思うと、徒競走でゴールする子供の姿をレンズやディスプレイ越しに見ることになって・・・『それは違うんじゃないか?』
緊張で心臓がドッキン、ドッキンしていたり、うまくできてわくわくしている子供の様子を、撮影しながら見るのはもったいない。
ある時から、写真を撮るのを辞めました。
けれども我が家には、顔を真っ赤にして、にこにこ顔でゴールする長女の写真や、学芸会での懐かしい次女の姿を写したもの、神妙な表情の三女・・・
たくさんの写真があります。それはよしこちゃんが写してくれた写真です。
娘たちの写真は、懐かしい日々の記録であると同時に、よしこちゃんがしてくれたたくさんの事を思い出させてくれるものになりました。
よしこちゃん
3月11日、この日は毎年あなたの事を思っています。
『もしあの時もっと早く』を思い、思ってもしょうがない事だとあきらめます。
よく集まった4人。私たちはあなたより9年分年をとりました。頭は白髪が9年分増え、9年分のしわとシミ、深く刻まれたほうれい線でブルドックみたいになった顔をあなたに笑われるかもしれないね。そんな顔をぶら下げながらも、みんな楽しくやってるよ。
大病を患ったり、職場が変わったりで、苦しいことも抱えながら、それでも楽しくやってる。楽しくやってるよ。