午後2時46分

3月11日。震災から10年です。
母親の病院への付き添いで、6時過ぎ家を出ました。
晴れてはいるけど、肌寒い朝。日常の生活。
それでも、車を止めて写真を一枚。

震災後、東松島市の『内陸の高台に移転させる復興まちづくり』計画に合わせるかたちでJR仙石線の駅も高台に移転復旧されました。
かつて我が家でお米を作っていた田んぼの上に、JRの高架橋が作られました。

枯れた雑草の隙間から見える、乾いた茶色い土。田んぼが完全に失われてしまった風景をみながら、春の田植えを思い出しました。
まだ義母も元気で田んぼに入り、離れて暮らす3人の娘たちも小さい手を用水路の水に濡らしながら苗箱を洗い・・・
頬を撫でる春の風、むせるような草のにおい、黒々とした、ねっとりと長ぐつにまとわりつく田んぼの土。
ゴールデンウイークの恒例行事。

建物ごと激しく揺さぶられていたのは5分くらいだったように記憶しています。ほんとに長くて、とんでもなく強い揺れでした。
でも、悲しい、ほんとにほんとに悲しい出来事の多くは、その後襲ってきた津波によってもたらされたように思います。

午後2時46分、これは地震発生時刻です。
その後、すぐに『津波がくる』ことを思って行動したら、助かった命が随分とあっただろうと悔やまれます。

午後2時46分になったら、職場で黙とうを捧げ、亡き友を想います。

そして、地震が来れば、津波も来る。
『高いところに逃げる』『自分の命を守る』
黙とうの後、自分に言い聞かせていきたいと思います。